【映画】「ノック 終末の訪問者」 感想(ネタバレを含みます)

【映画】「ノック 終末の訪問者」 感想(ネタバレを含みます)

目次

映画情報

監督   :M・ナイト・シャマラン
タイトル :「ノック 終末の訪問者」
出演者  :デイブ・バウティスタ
     :ジョナサン・グロフ
     :ベン・オルドリッジ
制作年  :2023年

あらすじ

郊外の湖畔付近にある小屋を借りた3人家族。都会の喧騒を忘れ、自然の中でのんびり休暇を過ごそうとした彼らに、予期せぬ訪問者が訪れた。

4人組の訪問者達は3人家族を拘束すると、混乱する家族たちに向かって目的を告げた。

「君達家族の中で1人を選び、残りの誰かが選ばれた1人を殺さなければならない」

突然の要求を、当然のように断る3人家族に対して訪問者たちは、なぜその必要があるのか、そうしなければどうなるのか、その証拠は・・・・・・と、家族達に話して聞かせる。

次々と起こる信じられない事象を前に、家族はどんな決断を下すのか。そして訪問者達の目的は・・・・・・?

というお話。

ネタバレあり感想

あおとんぼくん

ネタバレを含むので観た人向けです!
既に観た人、最初から今作を観るつもりがない人だけが開いてね!
(ほんとは観て欲しいけど、観ずに結果だけ知りたいっていう人も
 たくさんいるようなのでまぁ仕方ないですね!)

ストーリーについて

観終わって真っ先に思った正直な感想。

なにこれ。

と、いうわけでつらつら話ていこうと思います。

・明らかに無理がある設定

※ネタバレ注意

と言うのも、いやちょっと待って、今回は完全に観終わった方に向けて話すので観てない人は何の話かわからないとろこが多々あると思うんですが、あらかじめご了承下さい。

改めて。と言うのもですね!

今回の話の一番重要な部分である「ビジョン」に関してなんですけど。

あれガバガバ過ぎない?????

作中でどんどん「ビジョン」と言う名の災厄が現実化していったのですが、一番最初の災厄のきっかけを思い出して欲しい。

リーダー格のレナードが「レドモンドの死で災いが起こる」って明確に発言にしてるんですね……それってつまり、お前らのせいでしょ?

仮にこの世界においては彼らの話が本当だったとして、四人の自己犠牲がなければ災いが起きないなら誰も死ななければ災いは起きなかったんでしょ?

いずれは死ぬからその時に災いが起きる⋯とするならば、災いが起きるタイミングはバラバラになるし、そもそも4人が集まらなければその時点で冒頭のビションからは外れてるんだし色々と不完全では?

3人家族があの瞬間に選ばないといけなくなったのは「レナード達が来て災いを起こしてその状況を作ったから」であって、そもそもお前らが来て自死しなければ災いは起きてないし選ぶ必要さえなかったんじゃないの?

どうなのこれ?

と、感じてしまってですね。なんか観ている間、ずっと言い知れぬ不快感があったんですよ。

近い感覚としては、サイコスリラー物で犯人が自分だけの価値観だけで物事を判断して実行に移す理不尽さがありました。

ちょっとなんか・・・・・・物語として無理があったんじゃないかなぁ、と思ってしまいます。

最後の話の流れとして、4人の話は結果として真実だったとは思いましたけど、それって無理矢理実現させたようなものなんじゃないの? と。

・結局4人の言う事は本当だったのか?

ネタバレ注意

すぐ上で言及しましたが、物語の流れ的にこれは事実だったと受け取りました。

もちろん、「いやたまたま重なってそう見えただけでしょ」と言う意見も否定しないです。だって4人の言う通りにした瞬間に終末が止まるなんて明らかおかしいですし。ただの一般人一人の命、あるいは決意が、終末現象を食い止めるきっかけになる繋がりって作中で一切語らてないですもん。

ただ、そのうえで私は「この物語としては」事実として受け取りました。

その理由として、自分の役割をやり切った4人の覚悟と、それにリンクして巻き起こった災厄の数々ですね。一応この世界ではそういう事になっているようです。

納得はしていませんが。

・エリックが4人の言葉を真実として受け入れ、決断した理由

ネタバレ注意

身もふたもない話をすれば、4人の「そうする事が自分の使命」とでも言わんばかりの悲壮な決意による自己犠牲、それに呑まれてしまったからではないか、と思いました。

湖畔での発言から、元々慎重に物事を考える節がある彼ですから。「すべての可能性は0じゃなく、何事も考えてみる」という思考の持ち主だったのではないかと思います。

思慮深いと言えば聞こえはいいですが、今回のような超常的な事に対しては(当然ですけど)免疫がなかったんでしょうね。そのせいで荒唐無稽な話にもその雰囲気に呑まれてしまったんじゃないかと。

まぁ実際に、目の前で自分達の主張を信じる4人が立て続けに死を選んでますからね。そう考えてしまうのも無理はなかったのかな、と。

・エリックが呟いた「四騎士」

ネタバレ注意

これはいわゆる、「黙示録の四騎士」のことですよね。

私は聖書を読んだことがないですし、あまり宗教には明るくないので詳しくは知らないんですが。

第一の騎士

『ヨハネの黙示録』第6章第2節に記される、第一の封印が解かれた時に現れる騎士。白い馬に乗っており、手にはを、また頭にを被っている。勝利の上の勝利(支配)を得る役目を担っているとされる。

第二の騎士

『ヨハネの黙示録』第6章第4節に記される、第二の封印が解かれた時に現れる騎士。赤い馬に乗っており、手に大きなを握っている。地上の人間に戦争を起こさせる役目を担っているとされる。

第三の騎士

『ヨハネの黙示録』第6章第6節に記される、第三の封印が解かれた時に現れる騎士。黒い馬に乗っており、手には食料を制限するための天秤を持っている。地上に飢饉をもたらす役目を担っているとされる。

第四の騎士

『ヨハネの黙示録』第6章第8節に記される、第四の封印が解かれた時に現れる騎士。青白い馬(蒼ざめた馬)に乗った「死」で、側に黄泉(ハデス)を連れている。疫病や野獣をもちいて、地上の人間を死に至らしめる役目を担っているとされる。

ウィキペディア ヨハネの黙示録の四騎士(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%81%AE%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2%E3%81%AE%E5%9B%9B%E9%A8%8E%E5%A3%AB)

こちらがウィキペディアからの引用になります。

こう書いてある通り、彼らは正確に言うと四騎士本人ではないんですね。

どの騎士に関しても「封印が解かれた時に現れる」と記述してあります。物語の中の4人については、いずれもその役割は「災厄のトリガー(引き金)」でしたからね。つまりは「封印を解く側」だと考えられます。

ですので、観終わった後に私は「もしかしたら聖書の解釈物語かもしれない」と思ったんですが……なんか違うな、と思って。

ますますこの映画が、何をしたい物語だったのか分からなくなっちゃったのでした。

終わりに

映画「ノック 終末の訪問者」についての感想でした!

既に観た方、まだ観ていない方、いかがでしたでしょうか?

一応観た事がある人前提での記事となっていますが、観てなくても中身を読んだ方もいらっしゃると思います。そういった方で、もしも興味が出たのであれば是非ご自身でも観てみて下さいね!

やっぱり人の感想を聞くのと自分で観たのとでは感じる物も変わってくるでしょうし、物語を味わった時の感想、意見っていうのはその人だけのものじゃないですか。だから観た事がない人にも観てもらいたいんですよね。時間がない、本当に面白いものだけ観たい。そういった感情はわかるんですが、個人の嗜好って人それぞれですからね、私には合わなくても「貴方」には合うかもしれませんし。

だから、皆さんの感想も是非聞かせてください!

既に観ていてこの記事を読んだ方。

この記事を読んでから自分でも観てみた方。

内容の是非は問わず、色んな人の感想を聞くのも楽しいですし、ぶっちゃけそれが目当てなところもありますし!

感想を言い合うのも含めて、映画の楽しいところですからね。

それではこのあたりで。読んで頂きありがとうございました!

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