南京大虐殺はあったのか、自分の中での結論を出したかった話

目次

はじめに

 戦後80周年の時期に各所で取り上げられた南京事件ですが、実のところちゃんと調べたことも無ければどんなものだったかもちゃんとは知らなかったんですよね。最近でもサッカーで有名な本田圭佑さんがX上で言及していて、多くの人がリプしてましたがその意見はバラバラでした。
 私が一回自分でちゃんと調べてみようと思ったきっかけもここにあって、X上で色んな意見が上がったからです。南京での虐殺は無かった、いやあった、南京事件で日本軍がやったとされる残虐な行為は中国軍がやった事、あるいは日本軍がやったんだ、と……対立した意見が散見されていた上、最近中国では南京事件を題材にした半日映画が公開されと、実際のところはどうだったのかわからず、自分で納得するために調べました。

 注意点として、本記事では南京事件に関わらず、当時の大戦の被害者を貶めるような意図はありませんし揶揄する意図もないです。あくまでも、実際はどうだったのか、を知るために調べたものです。

 加えて、私が調べるために読んだ書籍は1冊だけです。こちらはX上で、中国の事について詳しい帰化済みの元中国人の方が紹介していたものです。
 こういった書籍というのは、作者の思想や立場で内容が変わる、というのは理解しているものの、中身としては客観的な見方を心掛けているように受け取れたので、私はこの本の内容を元に南京事件の「実際のところ」を考えるようにしました。

 今回南京事件の実際のところを考えるにあたって読ませて頂いたのは水間政憲さんの『完結「南京事件」日米中歴史戦に終止符を打つ』です。

書籍情報

著者   :水間 正憲(みずま まさのり)
タイトル :完結「南京事件」日米中歴史戦に終止符を打つ
出版年  :2017年9月1日
出版社  :ビジネス社

水間政憲さん

 近現代史研究家兼ジャーナリスト。近現代史(GHQ占領下の政治・文化)の捏造史観に焦点を絞り、一次資料を発掘し調査研究を行っている。

 戸井田徹衆議院議員(当時)と連携し、国会において中国や外務省の矛盾点を明らかにして、中国が要求していた最大60兆円を阻止。

完結「南京事件」日米中歴史戦に終止符を打つ 裏表紙そでより

この本における資料の位置づけ(本書より)
南京攻略戦当時の国際連盟議事録:第一級資料
公的資料:一次資料
新聞雑誌報道:二次資料
報道写真の原理原則を充たしている写真:一次資料
(報道写真の原理原則:「だれが、いつ、どこで」がはっきりしていること)

本書の内容から学んだこと

「南京大虐殺の証拠」の捏造

 ・朝日新聞本多勝一記者が「誤用」を認めた「南京虐殺」捏造写真(※1) P.32~
 ・日本軍が中国人に対して行ったとされる「三光作戦」(※2)は、当時のニューヨーク・タイムズが中国の仕業と報道していた P.76
 ・蒋介石逃亡後、中国軍は南京市民を略奪強姦、ニューヨーク・タイムズ報道 P.84
 ・戦後にGHQが「創作」した「眞相箱」(※3)のプロパガンダ P.88~
 ・南京大虐殺を証言する洞富雄著「決定版【南京大虐殺】」に記された虚偽の内容を証明する写真の数々 P.90~
 ・日本軍は捕虜を虐殺したとされるが、日本軍の捕虜の扱いは戦時国際法を遵守していた(※4) P.107
 ・南京市政府(※5)が南京の復興状況をまとめた「南京市政概況(南京市政府提供)」にて、埋葬活動をしていた慈善団体が出した数字「1793体」(※6) P.144~
 ・南京城内の民間人と特定できる死者は「30万人」ではなく34人だった P.155~
 ・「南京郵便袋虐殺事件裁判」とその結果 P159.160
 ・「百人斬り」捏造 P.161

 ※1 本多勝一記者の執筆した南京証拠写真の出典には「南京市提供」と書かれているばかりで「だれが、いつ、どこで」の資料写真の原理原則が充たされたものがない P.40
 ※2 三光とは北京語で「殺し尽くし・焼き尽くし・奪い尽くす」 の意味(出典:ウィキペディア)
 ※3 眞相箱 敗戦後、GHQ占領政策の一環として制作されたラジオ番組「眞相箱」のこと
 ※4 軍服を脱いだゲリラ(便衣兵)は捕虜として扱われず、日本軍が処刑したのは捕虜ではなくゲリラ P.107
 ※5 南京城陥落(日本軍占領)は1937年12月13日、南京市政府の発足は1938年 P.144
   中華民国維新政府(ちゅうかみんこくいしんせいふ)は、1938年3月28日に南京で成立し、江蘇省、浙江省、安徽省の三省と、南京及び上海の両直轄市を統括していた政権(ウィキペディア)(本書で書かれてる南京市政府の事?)
 ※6 南京城内死体数 1793体、南京城外死体数 31940体(中国の言い分は南京城内死体数30万体)

当時、日本軍が中国にいた理由と日本が中国と戦争になった経緯

 1840年のアヘン戦争以降、列国の軍隊が駐留していたのが始まり。
 英国は清国(当時の中国)に不平等条約を押し付け、それに米国やフランスも追従していた。それに反発した秘密結社の義和団が暴動を起こすものの(北清事変 1899年~1901年)、制圧されて北京議定書という講和条約を結ぶ。北京議定書の内容として「外国軍隊の北京駐留」があり、これによって日本は支那駐屯軍として天津に司令部を設置する(日本以外に7国)。(世界史の窓参照https://www.y-history.net/appendix/wh1403-034.html
 
 1927年、中国で内乱が発生する。
 共産党系武漢政府と反共産党系南京政府が並立、張作霖が北京政府で争う。 P.51
 この反共産党系南京政府が蒋介石率いる国民革命軍だと思われる。
 1927年3月27日、南京で国民革命軍によって日・英・米の領事館、学校、会社が襲撃される。南京邦人暴虐事件。 P.51
 1928年5月2日、済南には邦人が1810名居留。蒋介石の要請により日本軍が済南から撤収した翌日5月3日、済南邦人惨殺事件。 P.52(この時の検視を中国側も立ち会って済南病院で行ったが、その時の写真が731部隊の人体実験の証拠として捏造に利用されている。https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C11110921600
 1928年6月4日、張作霖爆殺事件。戦後に日本軍の計画として定着したが、実際は不明。当時の情勢が混乱していて情報錯綜により資料不十分で真偽不明 P.54
 1930年、中国による南満州鉄道とその付属地おける被害、関東庁警察が取り扱った被害事件が1294件。こうした中国側の暴虐(と本書には記されている)と、1931年6月27日中村震太郎大尉惨殺に対して、日本軍が柳条湖事件を自作自演する。
 1931年9月18日、柳条湖事件。日本軍が中国側の仕業と偽って南満州鉄道の線路を爆破(鉄道の運行に支障がない極小さな被害)。本書ではこの目的がはっきりとは書かれていないが、流れとしては、「日本軍への妨害行為をした中国軍のせいで、鉄道の運行に支障が出るかもしれない。抑制を促そうとした」のかなと思います。
 1932年、第一次上海事変。それまで満州を中心にしていた日中の争いが上海にまで広がる。
 1932年、上海停戦協定。
 1937年7月7日、盧溝橋事件。支那事変のきっかけになったとされているが、実際には違う(後述)。この事件には色々な説があるが、戦後に中国に駐留し、中国共産党の将校になった葛西純一郎氏の著書、「新資料盧溝橋事件」にて中国共産党の策略だったと暴露している。 P.64
 1938年7月29日、通州事件。P.68 日本ではこの事件がおそらく最も有名。本書においてもその凄惨な内容が当時の新聞と共に記されている。当日の生き残りとなられた方の証言を残している、小坪しんやさんのブログ(https://samurai20.jp/2025/07/tuusyuujiken-11/)(閲覧注意)。現在の中国がうそぶく南京大虐殺での蛮行はここからきていると言われている。私もそう思う。

 この通州事件を隠すために、日中戦争の原因を盧溝橋事件にした、と本書では言及しています。通州事件のような事が自国で起きた場合、今も昔も欧米諸国は全面戦争に突入しただろうし、通州事件が戦争の原因であれば「日本が悪い」と日本を責める事ができなくなるからだ、と推測。 P.70

 では実際に日本と中国が戦争になったのは通州事件が原因なのか、と言われたらそれも違いました。日本は通州事件のような事件が起きても「隠忍自重」して、軍事行動は防御的な行動しか行わなかったそうです。それが戦争まで発展してしまったのは、1937年8月13日、中国が上海停戦協定を一方的に破って上海にて爆撃、砲撃してきたため、日本軍がそれに応戦した事で日中戦争(支那事変)となりました。 P.38.72

 日中戦争において、日本が領土拡大や資源目的での侵略が戦争の原因だとする論調が多いですが、実際には違うという事がよくわかります。

南京大虐殺というデマを広めたのは中国ではなくアメリカ

 多くの日本人や世界中の人々は、日本が原爆を落とされたのは「戦争を終結させるためだった」と信じています。しかし本書では、アメリカが日本に原爆を二度も落としたのには、別の理由があったと主張しています。
 それが、純粋な「実験」目的です。
 この記事では話が逸れるので簡単に触れるだけに留めますが、本書ではこの話もある程度触れていました。 P.10~

 戦後の東京裁判においては、当初南京大虐殺による死者数は「10万人以上」であると判決文ではなっていましたが、総括判決においては「後日の見積もりによれば20万人以上」となっています。
 そりゃ、時間を置いてから数えたら増減もするんじゃない? と思うかもしれませんが、まずその単位が大きすぎる事と、南京大虐殺(1938~1939)と東京裁判(1946)の間にどれだけの時間があったのか。日本が南京統治後の7年後に数え直したのでしょうか? どうやって、という話です。

 ではなぜ20万人という数字なのか。それにリンクするのが原爆による死者の数です。広島14万人、長崎7万人が犠牲者となった原爆の印象を薄れさせるための、スケープゴートにされたのが実際のところではないか。

 本書ではそれに加えて、次のようにも言及しています。「米国は原爆以上に、東京大焼殺批判を恐れた」
 この東京大焼殺とは、私たちに馴染み深い言葉、東京大空襲となるのですが、軍需生産の中心地でも無かった都市において、しかもより被害が甚大になる木造建築の多い日本で、市民を問わず無差別爆撃した事実を糾弾する声が世界で上がりかけていたそうです。 P.14
 その声をかき消すように原爆を投下したのですが、「どっちにしても批判されるでしょ」と思いませんか。
 そこで最初に戻ります。「原爆は終戦の唯一の手段だった」という大義名分ですね。これを理由に自分たちへの批判を抑えつつ、日本が南京大虐殺を行ったとして糾弾する事で批判の矛先を変えさせた。
 ――と、いうのが本書における見解でした。

 これに関しては正直どうなんだろう、とも思ったのですが、原爆投下の決定を下した当時のアメリカ大統領が、日本人を猿と称したトルーマン大統領だった事もあり(https://pra.or.jp/topics/topics041.html)、あながち適当な事とも言えないなと感じました。

結論:南京大虐殺は無かった

なぜこの本の内容を信用して、南京大虐殺は無かったと結論付けたのか

 最も信用できる、と感じたのは本書における資料の定義と、その内容です。

 書籍のところでも記述しましたが、この本の中では各資料がどういったものなのか定義しつつ、いつ、どこで、だれが撮影したものなのか、何年にどこが発行した新聞なのか、公的文書も何年にどこの組織が出したものなのか詳細に提示してくれています。

 そうした「信頼できる資料」であると根拠を示したもので、特にP.91~の写真の説得力が凄かったです。
 内容は、南京統治後の、日本占領下における中国人の様子を写した写真となります。
 数十枚を超える写真は、どれも「安心」の中にある笑顔の人々ばかりでした。
 そうして一緒に写真に写った日本兵の様子というのは、戦場ではなく、日常の延長にいる事を現すように笑っている顔ばかりです。

 意図的にそうした写真だけを集めた、という可能性もあるでしょうが、少なくともそこに載せられた写真は事実であるでしょうし、出典がしっかりしている上に、何よりはっきりとした証拠であるのが大きいです。

 ネットでよく見かける南京大虐殺を肯定する意見というのは、写真どころかそれを示す出典も無い事が多いですし、たまに証拠写真を挙げててもすぐにそれが捏造だと証明する人が現れたりしていて……なんというか、良く言えば、最初に入った情報を無条件で信じて疑わない純粋な人なのかなって。そうでなければ、騙せれば御の字、あるいは事実はどうでもよくて、自分と違う主張をただ叩きたいだけなのかと勘繰ってしまうような人がいたり。

 どちらにしても、私としては、自分で調べて自分で考えて結論を出したいと思うので、あんまりそういう人たちの気持ちはわからないですね……。いや想像はできますけど、そうしようとは思わないというか。

終わりに

 本書を読んで私が出した結論は以上となりますが、当然私が出した結論への反対意見もあるでしょうし、むしろ反対意見がでるのが当然だと思いますが、誤解しないで頂きたいのは、私はこう結論付けた、というだけでそれを誰かに強制しようとは思っていないです。

 どれだけはっきりとした証拠があったとしても、本当に実際のところはどうだったのか、というのは今の私たちには知り様がないっていうことと、物事の見方は自由ですし、もっと言えば思想も自由であるべきだと思っているからです。有り体に言ってしまえば、嘘のプロパガンダで日本を責めたいという思想も、思う分には自由だと思いますし。やるのはどうかと思いますが。プロパガンダで責められても、はっきりとそれを否定して見せればいいわけですし。

 現在の日本の政治を見ていると、日本はこのまま世界の反日論に流されて「無かった非道」で永遠に攻め続けられるように思います。その原因が反日政治家だと言う人はたくさんいますが(実際その通りではあるので)、もっと根本的な原因である、無関心な国民の事を言及する人は少ないように思います。
 正直、この先日本が時代錯誤の占領をされて、ウイグルのような環境になったとしても、それは日本国民の自業自得だよな、と思ってしまう面もあります。

 そうはならないで欲しいと思う反面、そうなっても仕方ない国民性(無関心)だよな、と思ってしまいます。

 どんな結論に行き着くとしても、一人一人が自分で調べて考える事を実践して欲しいものです。

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